こんにちは。ハムイチです。
今回はSC相模原選手紹介⑨
2022新加入選手GK背番号31番
囲謙太朗選手です。
圍 謙太朗(かこい けんたろう)
1991年4月23日 現在30歳
長崎県出身
身長:190cm
体重:90kg
小学校3年生の終わりに地元の少年団でサッカーを始めた。両親がバレーボールをしており、本人もバレーボールをするつもりだったが小学校にバレーボールのチームはなく、「つなぎ」でサッカーを始めた。
小学校4年生でゴールキーパーに。それも「手を使うバレーボールに近いから」。
小学校5年時のトレセンで、長崎市から県に選抜される時に、キーパーの中で囲謙太郎だけ落とされてしまう。
この悔しい経験は少年の成長を加速させる。1年後に「つなぎ」はずだったサッカーで、九州トレセンにまで選出されると、そこで人生を左右するような出会いが待っていた。
育成年代の指導に定評のあった澤村公康氏である。彼がトレセンでGKコーチを務めており、衝撃を受けた。
当時は澤村コーチが浦和レッズのアカデミーに行くことが決まっていたため、圍選手も浦和の下部組織行きを模索したものの、家族とともに生活することが条件に含まれていたため断念した。
それならばと、澤村がベースを創り上げた熊本の大津高校への進学を決意し、住み慣れた長崎の地を離れた。
大津高校の同期に現在モンテディオ山形に在籍している藤嶋栄介選手がおり、当時からu-16日本代表に選出されていた。
囲選手は度重なる怪我や急激に身長が伸びたことで身体のバランスが崩れたために十分なプレーができず第3GKに甘んじていた。
大津高校卒業後は大阪府の桃山学院大学へ進学。
大学入学後は長い手足を柔軟に使いこなせるようになり、1年時から関西学生リーグ1部で先発出場を続け、同年の新人賞を獲得した。
恵まれた体格と能力に経験が加わったことで頭角を現し、2年時にはリーグ最小失点での優勝に貢献。
2年時から選出された全日本大学選抜では、大津高校の同級生の藤嶋栄介(福岡大学)とのポジション争いを続け、藤嶋との併用で2013年夏季ユニバーシアードの3試合に先発出場し、銅メダル獲得に貢献した。
新潟及びC大阪からのオファーを断り、体格や身体能力、人柄を高く評価するFC東京へと入団した。
同年のJ1第2節甲府戦で第2GKとしてベンチ入り。
2015年は右第5中足骨基部骨折など苦しい一年を過ごした。
2016年にかけて復調し、J3第1節SC相模原戦においてJリーグ初出場。
2017年、セレッソ大阪へ完全移籍。

セレッソ大阪公式ファンサイトより引用
https://www.mycerezo.jp/profile/2019/profile-01.html
しかし、守護神キム・ジンヒョンや第2GK丹野研太の牙城を崩すことは出来ず第3GKに留まった。
2018年はアビスパ福岡に期限付き移籍。
杉山力裕とのポジション争いに勝利し26試合に出場した。

サッカーキングより引用
https://www.soccer-king.jp/player/article/416720.html
2020シーズンから松本山雅FCに完全移籍で加入。加入当初は村山智彦の控えに留まるも、シーズン途中に出番を得ると、シーズン終了までポジション争いを繰り広げ、結果15試合に出場した。

松本山雅ホームページより引用
https://www.yamaga-fc.com/club/player/2021-kentaro-kakoi
2021シーズンも村山との激しいポジション争いとなったが、それを制し26試合に出場した。
2022シーズンよりSC相模原に完全移籍
囲謙太朗選手の特徴は
190cmの長身を活かしたダイナミックなプレーが特徴。
持ち味である安定したハイボールへの対応はもちろん、思い切りのいい判断で枠内セーブ率も高い。
高校時代やプロ入り後も控えに回ることもあった囲選手。しかし、松本山雅で村山選手からポジションを奪った。高校生時代の藤嶋選手、セレッソ大阪のキムジンヒョン選手など強力なライバルと鎬を削り豊富な経験を得ている。
30歳を迎えこれからゴールキーパーとしての円熟期を迎えるため更なる成長と相模原の守護神としての活躍が期待されます。